• 長野県工科短期大学校長  佐藤 元太郎

イギリスから始まった産業革命は人類に科学技術の成果を享受させる幕明けとなった。金属製品が王侯貴族の宝物としてではなく,工業製品として広く大衆に流通可能となったからである。その後の科学技術の進歩はめざましく,今日の物作り技術の進歩の度合いは産業革命時のおよそ10倍の速さで進展していると言われている。

昭和1桁(けた)生まれの筆者は,工業製品と呼べるものが家庭にわずかしかなかったときから今日の物あまり時代の約50年間の短い間に,その普及の様子を時系列的に見てきた。50年前といえば,さすがに筆者の生まれた山村といえども電灯はどの家にもついていたが,電話となると共同電話が村のほぼ中央の家の軒先に1台あっただけで,私などは高校を終えるぐらいまでは,私用で電話をかけた記憶はほとんどない。自家用車も村には1台もなく,時折トラックが山から切り出した材木を運びに村に入ってきたときなど「いい匂いだ!」と叫びながら排気ガスを嗅ぎながら後を追いかけたものだった。これが文明の匂いかと当時は漠然と思っていたのかもしれない。

テレビがようやく昭和30年頃から普及し始め,わが家にも入って,初めて映像を見たときの感動は今も鮮やかである。その後またたく間に時計,カメラに続き,電気製品が家庭に入り込み,ついには自動車が2人に1台の割合で普及した今日になってしまった。

昭和40年頃の大型電子計算機は,まさしく構造も大型で,エアコンのある電算室をのぞいたときには,これぞ最先端技術の粋をつめ込んだ箱に違いないと思った。今はどうだろうか。研究室の机の上に無造作に置かれたパソコンのほうがあの偉容を誇っていた計算機よりも,能力は上位だというではないか。どれをとってみても予想だにしなかった生活環境の変化である。そして現在も科学技術は人類の果てしない欲望を満たすべく進展を続けている。

しかし最近次のような声をよく耳にするようになった。「人はどこまで豊かさを追い求めたら足りるだろうか。物質至上の文明は人類に幸せをもたらすだろうか」等々。これらの声の意味するところは,科学技術と人間社会の関係がバランスを失い,資源の枯渇,環境の汚染,人間疎外などの形で現れ始めていることへの警鐘といえよう。身近に目を転じてみよう。

わが国は世界の中でも物とお金に裕福な国とされているが果たしてそれが実感できるような生活が営まれているだろうか。豊かさと覚しきものを維持するための通勤ラッシュや日常化された時間外労働,過度な高度医療機器の普及によるヒューマンケアの軽視など,これが現在の平均的な生活である。科学技術が進歩し,物質的には豊かになる一方では心のゆとりが失われ,本来の人間らしい生活が遠のいてゆくように感じられるのは何なのか考えさせられてしまう。おそらくそれは科学技術が真に目指しているところと,人間が本来求めているものとのミスマッチが原因ではないだろうか。ある時期までの科学技術は地球規模に比べて非常に小さいものであったが,現在のそれは地球に働きかけるまでに進歩し,その影響が無視できないほどになってきたためと思われる。

科学技術が人類の運命を左右しかねない今日,自然界あるいは人間社会と調和のとれた科学技術について真剣に考える最後の機会であろうと思われる。科学している者の哲学が今ほど問われているときはないように思えてならない。

さとう もとたろう

さとう もとたろう
さとう もとたろう

略歴

昭43 東京都立大学大学院工学研究科修了
60 信州大学工学部教授
平7 現職

ページのトップに戻る