• リレートーク【2】
  • ポリテクカレッジ岐阜  大本  豊

前号執筆者の正木克典先生とは,私が訓大(現能開大)を卒業して初めて赴任した会津技能開発センター(ポリテクセンター会津)で3年間過ごしたときの先輩として2年前に赴任されておりました。私は先に岐阜短大に転勤となりましたが先生はその後1年会津にとどまり,高度センターに転勤になりました。実は,正木先生は私が訓大で入ったサークルでも先輩として活躍されていた方です。

今回のリレートークの執筆をお引き受けしたものの何を書こうかと悩みましたが,私がお世話になったサークル活動から少し書いてみたいと思います。

私が訓大に入学した年,今までやったことのないことをやってみようとサイクリング部を見学しました。そのとき勧誘をしてくれたのが2年先輩の正木さんと1年先輩の中井さんでした。正木さんはまじめそうな方で,中井さんが山男のような大柄な方でした。どうしようか迷っている私に,正木さんは熱心に誘ってくださいました。もともと体力的に自信がなかったので,途中でおいていかれたらどうしようかと不安でいっぱいでした。事実,最初に出かけた近所の峠道で皆についていけなくて落伍してしまいました。このとき,最後までサポートしてくれたのが正木さんや先輩諸氏でした。

ところで,このとき同期で入部したのが次回に登場する下司哲也君(神奈川県立平塚高等職業技術校)です。彼は以前から日本各地を自転車旅行をしており,とても私が何か言うような立場にありませんでした。それは,今でも変わっていないことです。また,このとき同期に渡辺,小泉,烏羽君がおります。不思議なことに同じ科の者がおらす,かえってそれぞれ違った見方から学校のことを話したりできました。

さて,初めて入部した夏には岐阜県の飛騨地方でわがサークル主催のラリー(イベント)と合宿が開かれ,私もこれに参加しました。北海道から出てきた私は,自分の足(自転車)で見ず知らずの土地を走り回る楽しさを満喫しました。もちろん体力的には相変わらず自信がなかったのですが,何とか他の皆についていこうと必死になっていました。しかし,ある峠道で今度は自分が先に到着し,後から来る仲間を侍つことなく先に進んでいました。このときは正木さんにえらく叱られました。

ところで私は,4年生になると卒業のことが気になりだしてサークルになかなか参加しなくなっていましたが,3月になってから会津技能開発センターに配属が決まったときになって正木先生が赴任している先であることを思いだし,即刻連絡を取りました。そこでの職員宿舎が隣どうしになることを知らされてますます心強く感じました。

しかし,4月になって今度は同じ職場になりましたが,職場では立場が違うため,なかなか一つの意見でまとまり合うことはありませんでした。周囲はそんなわれわれをいろいろと気にかけていたようです。そんなとき,正木先生には夏に尾瀬登山を計画していただき,一緒に燧ケ岳登頂を行いました。また,冬には,出無精になった私をさそってナイタースキーに誘い出していただきました。正木先生は九州から,私は北海道からで互いに勝手のわからない土地でしたから,興味の対象が共通していたことも事実ですが,普段の付き合いを大事にしてくれました。そんな環境と心の温もりを会津の思い出として今も持っています。

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