2022年3号「技能と技術」誌309号
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はよしてください。先生,あなた左甚五郎先生なんでしょ。あんた人が悪いや」甚五郎も湯上りで上じょ気うきした顔をさらに赤らめて笑いながら「いや,いい湯に入らせてもらったおかげでやっと自分の名前を思い出したよ」「そんなわけあるかい」政五郎が笑う。三井の番頭藤とう兵べ衛え,「では,改めさせていただきます」と大黒様を手にした。「これは見事な…」言葉を失い,目を見開き,これまた魂を吸い取られるようにかなり長い時間大だい黒こくを見つめていた。奥からそっとのぞいていた梅。初めて見る甚五郎の大だい黒こくを見て仰天した。「うわ,こりゃすげぇや…」目を見開いたまま,梅もついでながら魂を吸い取られた。三井から値付けの一切を任されていた藤とう兵べ衛え,この甚五郎の大だい黒こくに対し,「では150両でお願いしとう存じます」と途方もない値を付けた。「そんな過か分ぶんな」という甚五郎にかまわず,藤とう兵べ衛えさらに「お口汚しですが」と名酒の酒さか樽だるを置き,さかな代として20両をおまけにつけて甚五郎に渡した。 「うお,やった」奥で梅がはしゃぐ。棟とうりょう梁,声を押し殺して「みっともねぇよ」としかりつける。が,顔が笑っている。よく見ると人の良い棟とうりょう梁,笑った目が潤うるんできている。やがて,番頭藤とう兵べ衛えは大だい黒こくを大事に抱えて帰っていった。大だい黒こくを見送る甚五郎。わが子を嫁に出す感情に似て,一抹の寂しさを覚えた。振り返るや否や,「よし,みんな。これで一杯やろうよ」「わぁ万歳」と今度は棟とうりょう梁も一緒に一同が沸く。梅が「魚河岸まで行ってきやす」と飛び出し,程なく,大事に大だい黒こくを抱え歩いている番頭藤とう兵べ衛えを追い抜いて魚うお河が岸しまで走っていった。その夜は,大宴会で盛り上がったのは言うまでもない。笑い声を響かせながら,江戸の夜は更ふけていった。三井の大だい黒こくの評判はあっという間に江戸中に広まった。寺社のみならず,幕府からも多くの仕事が舞い込んだ。左甚五郎は結局その後も長年にわたり,棟とうりょう梁政五郎に厄介になりながら江戸で仕事をつづ-36-けた。遠い他国からの仕事も政五郎のところにやってくるようになった。その後,左甚五郎は政五郎の息子,すなわち二代目政五郎と日本全国を旅しながら数々の伝説の名作を残していった。そうやって二代目を立派に育てあげ,政五郎が隠いん居きょし,二代目が跡あと目めを継ついだ後もしっかり後見役を務めた。もうこのころの政五郎一家の仕事は焼けて当たり前の急ぎ仕事から,百年千年の後世に残るような仕事になっていた。あれほど,甚五郎にぼろくそに言われていた松も,板をはがせなかった梅も,その後,意外な速さで恐ろしく腕を上げ,「人は変われば変わるもんやなぁ」と甚五郎に一泡も二泡も吹かせてやった。そして年を重ねるほどに,彼らも名工と仰がれていった。日光東照宮の「眠り猫」、寛永寺の「水のみの龍」。秩父神社の「子宝・子育ての虎とら」,「つなぎの龍」など,左甚五郎由来の伝説の作品もこのころに多く作られている。どの作品も面白いのは「夜な夜な動き出して暴あばれたり,水を飲みに行ったり」という伝説がついて,現代まで残されていること。彫ったものに魂たましいが宿やどるので動き出すという話がたくさん残っている。でもその中には,松や梅が彫ったものがあるのかもしれない。前述したが,左甚五郎ついては,詳細不明。ゆえに,いろいろな逸いつ話わや伝説が生まれやすかったのだ5.江戸の仕事6.あとがき

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