2022年3号「技能と技術」誌309号
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に声をかけた。「おい,丁でっ稚ち」「丁稚じゃないし」「いいから」と,手紙を持たせて「これを」と耳打ちし,どこかに使いにやらせた。「棟とうりょう梁,『いこいの湯』に行かせてくれないかな。」政五郎は湯札と一緒に懐ふところから小銭も出しながら「こっちもありがてぇよ。最近,おめえさんの臭いに閉口していたのさ」と笑う。「棟梁,相変わらず口が悪いね」と『ポン助』。湯札とおコヅカイをもらうと出かけていった。疲れ果て,そのくせ何かをやり遂げた充実感を漂わせた『ポン助』。その背中を見送りながら棟梁の政五郎に好奇心が湧いてきた。『ポン助』が作った大だい黒こくを無性に見たくなった。二階に上がり,『ポン助』の部屋に初めてそっと入った棟とうりょう梁。「おう,さすがだな。きれいに片付けているな。ん。なんだ,『のみ』を持っていたのか。」いぶし銀の光を静かに放つ『のみ』,柄に美しく使い込まれた木目を浮かべている。よく見れば,刃先には刃は紋もんもうっすら浮かんでいる。「これは…」。その『のみ』が持つ風格に政五郎は言葉を失い,魂までも刃先に吸い取られるかのように,かなり長-35-い時間,その『のみ』を見つめていた。「やはりただの大工じゃなかったんだ」不思議と音も消え,シンとした時間がしばらく流れた。ふと,政五郎が顔を上げると部屋の片隅に三寸くらいの布切れのかかったものを見つける。「これかな」布切れをとるとそこには大だい黒こくの像。その時,たまたま窓から差し込んでいた日の光を大だい黒こくが受けてしまった。陰いんから陽ように帰り大だい黒こくは生を宿やどした。閉じた目をパッと開き,棟とうりょう梁の顔をじっと見てニヤニヤと笑ったと伝わる。ちょうどその時,階下から声が聞こえた。「ごめんくださいまし」来客だ。「はっ」と我に返った二階の棟梁「へーい,だれかいねーのかい。ったく,今行きますから」と軒先まで下りて行った。そこに立っていたのは,左甚五郎からの知らせを受けた『駿する河が町まちの三井』の番頭の藤とう兵べ衛えだ。「こちらに飛ひ騨だ高たか山やまの棟とうりょう梁,左甚五郎先生は御在宅では」との言葉に,線が全てつながった。棟とうりょう梁はやっと『ポン助』が左甚五郎だとわかる。「どうぞ,こちらにおかけになって,お待ちください。もうじき湯から帰ってくると思います。」と,藤とう兵べ衛えに座布団を勧めた。しばらくして,路地の向こうから湯上りでご機嫌な甚五郎が,鼻歌でも歌いながら帰ってきた。その能のう天てん気きな姿を見ながら,「なるほどね,さすがぁ名人は違う。『能ある豚はヘソを隠す』ってぇ奴だ」と,棟とうりょう梁政五郎は独り言も口が悪い。「おやぁ,これは藤とう兵べ衛えさん久しぶり。あ,棟とうりょう梁ただいまぁ」「棟とうりょう梁3.陰から陽へ4.駿する河が町まちの三井

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