2022年2号「技能と技術」誌308号
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フォンも3年もしたら買い替えが当たり前。その頃に時限装置が働いているがごとく故障が多発し,買い替えを促うながしてくる作り。そんな物もの持もちの悪い品質を当たり前と思っていいものか。あえて,筆者の愚ぐ痴ちを続ける。古来,日本のものづくりは,作り手がお客さんの喜ぶ顔を思い浮かべて作っていたのが原点だった。「タチバナのおはぎ食べるとうれしくってね」「キジマの足袋は足になじむから,これ以外はダメなんだよ」というお客さんの笑顔。最近はこのお客さまの笑顔を思いながら作られた製品がなくなり,売り手の財布の中身,作り手の財布の中身ばかり心配しながら作られた製品が増えたと思う。かつて,日本はモノづくり世界一の国だった。世界に求められ,外国への技術供与をしてきた。が,この利益優先主義が災いし,お客さま第一の日本伝統の真心を伝えられず,コストカットばかりが残ってしまったのでは?と,思う。目先の利益を追う焦りの心で最近の製品は作られ,世界の品質がドンドン下がっていった。と,いうのは言い過ぎだろうか?-33-しかし,これだけ壊れやすいものが増えた世界。逆に,これから求められるのは,お客さまのためという真心を胸の内に秘めた職人が作る,本物の製品なのではなかろうか。時を甚五郎の時代に戻す。紅こう葉ようも終わり,江戸の町。イチョウの葉を散らしながら木こ枯がらしが吹いていた。暮れも迫ってくると,江戸の大工は,歳としの市いち(年末の縁日)向けに端は切ぎれ(木材の余った端材)で生活用品などを作ってコヅカイ稼ぎする。棟とうりょう梁は『ポン助』に「おまえさんも,何か一つ作って見たらどうだい。いい稼ぎになるよ。それで国にみやげの一つも買っておあげよ。上かみ方がたの大工は彫ほり物ものがうまいだろう。恵え比び寿すや大だい黒こくは高く売れるよ」とすすめた。「あ」。その時,すっかり『ポン助』になりきっていた左甚五郎。「大だい黒こく」の一言で大事なことを思い出す。伏見に在ざいじゅう住の折,江戸一の大呉服屋,駿する河が町まちの三井(現在の日本橋三越)からの依頼で大だい黒こくを彫るように頼まれていた。が,そのことをからっきし忘れていた。「大だい黒こくか,よし」やっとこさ火が付い3.歳の市(としのいち)

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