2022年1号「技能と技術」誌307号
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ところが,独り言のはずの声が筒抜けに当の大工まで届いてしまった。甚五郎のように騒そう々ぞうしい現場で長年仕事をしている人は自然と声量は増すし,いかんせん,声の質として通りがよくなってくる。江戸っ子は血けっ気き早い。仕事をしていた若い大工たち。「おうおう」「なんだって,ケチをつける気か」「鼻にホクロは生まれつきでい」「てやんで。」と,わっと大工たちに囲まれ,もみくちゃにされてしまった。そこにたまたまやってきたのが彼らの棟とう梁りょう・政五郎。あわてて割って入る。「おうおう。仕事をしろとは言いつけたが,ケンカしろとは言ってないぞ」鼻にホクロのある松「棟とう梁りょう,だって,こいつ『下手でぞんざいだ』っていいやがるんで」「松,お前うまくはないよな。こちらさん,よくわかってらっしゃるじゃないの。お目が高けぇや。なぁ」と,みんなを仕事場に戻し,その男の素性を聞くと,「わしは西の番ばん匠しょう(大工)で,名は」というと,言葉をさえぎり棟とう梁りょう,「おいおい,どっちの肩も持つわけじゃないが,『同どう職しょくをけなす』のは感心しないな」と諫いさめつつ,遠目で大工たちの腕を見抜いたこの男に,腕の良さを感じた。この棟とう梁りょうも並ではない。「でもこうやって出会えたというのも,これも何かの縁だ。今人手が足りねえんだ。行く当てもなかったら,どうだい。うちで草わらじ鞋を脱がないかい」と言葉を継いだ。その夜は仕事を早じまいして,歓迎の宴。元来,血気盛んだが根はカラッとしている江戸っ子の若い-22-大工の衆と,これまた竹を割ったような左甚五郎。たたいたこともたたかれたことも酒で洗い流したか,スッカリ忘れてお互いに楽しく盛り上がる。が,ふと,松が気付く。「そういや,あんた名前はなんていうんだい」出会って半日以上たっている。そろってのんきな話だ。「おう,そうだった。わしは飛ひ騨だ高たか山やまの生まれで」と話し始めた鼻っ柱で,根っからの江戸っ子の棟とう梁りょうは再びそそっかしい。また話の腰を折ってしまった。「なに。飛ひ騨だ高たか山やまといえば,あの日本一の大工の左甚五郎先生がお生まれになすったところだ。あんたも大工なら一度はお見かけしたことはあるんじゃないかい」甚五郎,思わぬ不意打ちを食らって「会うにはあったことはあるが」と言葉を失う。「なに。会ったことがあるのかい」と,身を急に乗り出す棟梁の眼光がさらに鋭い。「会ったどころか,この俺だ」と,名乗りづらくなってしまった。言うに事欠き,己への謙けん遜そんや自じ戒かいが混じってしまったか「いやいや,つまらない野郎だよ」と思わず甚五郎。棟梁は心しん酔すいしている左甚五郎先生のことを悪く言われたので,一瞬むっとしたが,「ま,お前さんもまだまだ修行が足りてないということだ。で,おめえさん名前はなんていうんだい」困ったのは甚五郎だ。もう,甚五郎とは名乗れな

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