2022年1号「技能と技術」誌307号
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福岡職業能力開発促進センター 和田 正博左甚五郎(ひだり じんごろう,あるいはひだの じんごろう)。江戸時代初期に活躍したとされる,伝説的な大工。彫刻を得意とする職人,江戸時代きっての名工だ。今では,「聞いたことはある気がするが」と,いう人すら減ってきて,「『さじん,ごろう』って誰ですか?」と言う人々の増加が見込まれる。日光東照宮の眠り猫を彫った人だとか,昭和の人だと子供のころ使った彫刻刀の名前になった人といわれて,合点がいく人もいるだろう。ところが,江戸時代ともなると,左甚五郎を知らない人はいない。「甚五郎がこさえると,木の龍りゅうだの,ネズミだの,カニだの,魂ってもんがこもっているから何だって動き出すって話よ」そんな訳はない。が,江戸時代初期,そういう甚五郎の不思議話はあっという間に全国に広まり,姿は知らないが,その名を知らぬものはいなかった。-21-さらに左甚五郎の話は,全国に広まるうちに尾ひれがたくさんついた。彼の「左」姓せいの由来も多くの諸説がくっ付いたようだ。ねたまれて右腕を切り落とされたため左手一本で仕事をしていた。あるいは,サウスポー(左利き)だから左という姓せいを名乗った,飛ひ騨だ高たか山やまの生まれから,なまって左になったという説,さらにはその仕事の見事さから,「右に出る者はいない」「左を号すべし」と天皇陛下から官位を授かったなど。いずれも粋いきで謎めいた由来だが,どれが本当の話かはわからないまま,400年以上もたってしまって今に至る。徳川家康の三回忌も終わり桜が満開の江戸。その街角に京都伏見を中心に仕事をしていた左甚五郎が旅装束で歩いている。ふと,今川橋のあたりで,散った桜の花びらと共に,ノコを引く音や,釘くぎを打つ音が風に乗って聞こえてきた。甚五郎は思わず誘われるように歩みを進めた。見るとある普請場で江戸の大工たちが仕事をしている。かねてから,江戸の大工の仕事を見てみたいと思っていた甚五郎。どんな仕事をしているのだろうと,食い入るようにその仕事をしばらくじっと見ていた。「ほう」この人の悪いところは,思ったことをそのまま口に出していってしまうというところにあるらしい。「かっこうは立派だが,仕事は,こりゃ下手だな。おまけにぞんざいだ。手傷釘こぼし。ははは。こりゃ始末に負えないな。鼻にホクロのある奴やつはひどいな。鉢はち巻まきをしている奴やつは,何とか手を加えればものになるか」など。1.左甚五郎(ひだりじんごろう)2.西の番匠(大工)左甚五郎 その一

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