2021年4号「技能と技術」誌306号
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た指導員は勉強熱心で優秀な人。いろいろな情報を加えながら,作業の手順を受講生に説明していたのだが,生野先生がため息をつきながら「教えすぎよ。しゃべり過ぎ。あれじゃ生徒さんが消化不良を起こしてしまうよ。」とソケットレンチを回しながらこぼされた。みると喰いつくようにうなずく人もかなりいるが目が泳いでいる人がかなりいる。一部の受講生が消化不良を起こしているのを生野先生のセンサーが反応していたのだ。先生は人材育成についていくつか言葉を残されている。「答えを持つ側,すなわち教える側が,答えを持たない人,すなわち教わる側に,答えを分け与えるような教育では,受け身のままで,自主独立の精神が育たない。答えは教わる人の中にすでに内在している。答えを自ら生み出すとその人の身につく。それをいかにサポートするかが大事だ。啐啄同時(そったくどうじ)だ」これは耳の痛い話。わがポリテクセンターの指導員は非常によく勉強し,知識も豊富な方が多い。それはわれわれの誇りでもあるが,ともすれば,それがあだになって,受講生が消化不良の原因になることがある。うちの指導員はとても親切。中にはわからなくても質問もしない受講生がいて,われわれは,手元が止まっていたり,顔色で行き詰まっていたりを察知し,声をかけて,手取り足取り教える。もちろんそれに対し,多数の毎回感謝の声をいただいている。が,中にはそれでも教え方が悪いからわらなかった,あるいは,あの人に教えていたのに,私には教えてくれなかったと文句を言う人も出てくる。受講生が与えられることに慣れきってしまい,-19-自己解決能力を失っている例だ。手取り足取り教えてくれる,やさしい先生がいる訓練中はいい。就職後,戦場のような現場に入って,ぼーっと自分がわからないことを察知する人が現れるのを待ったりする新入社員になってしまわないだろうか,心配な受講生がいる。実際,せっかく就職できたのに,さまざまな課題を自己解決できず,離職する受講生は多い。これはわれわれ指導員が反省すべきだと考えている。困り顔をしていても,自ら質問できるまで待つ,『質問力』も受講生が自ら道を切り開く力の一つになる。苦しみながらも答えを自ら出すまで待つ。忍耐力が指導員にも必要。生野先生は受講生が自ら答えをつかもうとする原動力をいかに引き出すかを常に苦心しておられた。工夫に工夫を重ねていた。その原動力のカギが好奇心,探求心。壁の向こう側に何があるかを見てみたい。という受講生の内在された心を先生は上手に引き出しておられた。まさに啐啄同時(そったくどうじ)である。生野先生は,TOTO退職後,付加価値研究所を立ち上げられ,沖縄など,日本各地で後世の指導に力を注いでおられたが,令和元年11月6日,肺炎でこの世を去られてしまった。あまりにも急な死だった。もう一度先生とお仕事を一緒にしたかった。せめてもの救いは,「左甚五郎(ひだりじんごろう)」の最初の草稿を,亡くなる半年前に先生に届けることができたこと。「左甚五郎」とは私が職業訓練大学の機械科の学生だったころ,恩師の海野邦昭先生に教えてもらったお話で,江戸時代の大工の名人のお話。左甚五郎が生野先生に像が重なるところが多々。私が書いた拙筆である。真っ先に先生に読んでいただきたかった。私が単身赴任先の大分から福岡に帰ってこられたご報告と共に,草稿をメールに添付して送付したのは2019年の4月23日。1時間もしないうちに返信のメールをいただいた。「ご帰還おめでとうございま6.九仞の功を一簣に虧く (きゅうじんのこうをいっきにかく)

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