2/2018
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を基に行う定型業務は,遅かれ早かれAIやロボットに代替され,そのような業務を担っている労働者は失業の憂き目に遭うことになる。匠の技と呼ばれる超高度な技能や今日のハイテク技術と云えども,安閑とはしていられない。今,君たちが学んでいる技能や技術は,そのような時代でも必要とされるものであろうか。今,君たちが夢見ている将来成りたい職業は,2060年にも必要とされているだろうか。医療技術や生活の質の改善により,人々の寿命は延び,間違いなく「人生100年時代」を生き抜く君たちは,2060年にはまだ現役バリバリの世代なのだ。いきなり悲観的な話ばかりを書き連ねたが,70年近く生きてきた者として,若い君たちに知っておいて欲しいことは,今現在,高い評判を得ている製品やサービス,有名ブランド企業,見たり想像したりできる事象も,社会や技術の急速な変化の中でいずれ陳腐化し,相対的に価値のないものに転化してしまうということである。私が学生時代を過ごした約50年前は,総合電機メーカや原子力産業,IBM360に代表される大型汎用コンピュータを生産する情報機器産業が花盛りであった。しかし今日ではそのような「モノ」の生産にだけ拘る企業は衰退し,IBMといえどもソフトウェア産業に転換してしまった。当時は,今日世間を風靡しているAmazonやGoogle,Facebook,Uberはもちろん,MicrosoftやAppleさえも,まだ生まれてもいない。時代が50年も進むと,世の中が一変してしまっているのだ。私事で恐縮だが,1987年当時,私は現在の職業能力開発総合大学校の圓川隆夫校長の同僚として東京工業大学経営工学科に勤務していたが,偶然の事情で,筑波大学に異動することになった。筑波大学が,昼間に企業等で働く社会人を対象に,働きながら夜間や週末に大学院レベルの学び直し教育を授ける場として,都内に新しく夜間大学院を設立するので,その設立プロジェクトに協力して欲しいとの要請を-2-受けたものである。このプロジェクトに設立構想を練るところから参加した(2)(3)。社会人が大学院で学び直すというのは今でこそ日本社会で当たり前の現象であるが,1987年当時は,大学院は学部を卒業した若い学生を大学教員か公的研究機関の研究者に育てることが任務だった。企業からの派遣で昼間の勤務を免除してもらい,2年間フルタイムで通常の学生として大学院に通う社会人もわずかに居たが,例外である。多忙な現役の社会人がわざわざ身銭を切り自分の時間を削ってまで,勤務後に大学院に通い,学び直すような風潮はまったくなかった。筑波大学の夜間大学院は日本で初めての試みであり,本当に現役の社会人が夜間大学院に応募してくるかどうかも分からない,応募者がゼロかも知れない,極めて危険な賭けのようなプロジェクトであった。そのようなリスクの多いプロジェクトであったからこそ,むしろどうしたら現役で多忙な社会人が大学院で学び直そうと考えるだろうかと,設立構想の段階から,大学や教員側の都合ではなく,むしろ学ぶ学生の立場から,望ましい大学院の仕組みや教育内容,教育方法はどんなものか考えながら創り上げる作業であった。結果として,いざ蓋を開けてみたら,私が直接関わった経営システム科学専攻(今で言うMOT(技術経営)の走りのような専攻)は,なんと入試倍率15倍と,大勢の社会人が入学試験に殺到した。当時の大学院の入試倍率は高くても2~3倍であったので,異常に高い値である。多くの社会人が,高校,大学,大学校,専門学校等で学んだ知識だけでは,常に変化するビジネス社会の中では役立たず,日々,その時代に必要とされる新しいことを学び直すチャンスを切望していたということである。志望者の半数は文系で企画・経営畑など,残り半数は理系の技術者である。文系の人間は技術オンチのままだと将来のビジネス展開が困難になるので最新技術や技術者のものの考え方を学びたいと考え,理系の人間は技術だけではビジネス社会で生きていけない,組織や人,会計・財務のことも理解できるようになりたいと考えて,応募してきている。このように筑波大学の夜間大学院には,大学卒業2.生涯学習の社会

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