2/2017
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今日の日本では子が親を殺す,親が我が子を虐待する,貧困に喘いで子供がまともに食事も食べられない,教師や政治家,代議士も汚職や不祥事を頻繁に起こす,企業では求人票と現実とは労働条件面が全く異なるブラック企業が多発し,また大手企業においても不正や隠ぺい体質が横行し,経営トップも責任回避するなど,一体いつからこのような日本人が発生してきたのかと危惧している。日本人としてこの世に生を受け,これからの日本が少しでも良くなることを願いつつ,私なりに所感を述べたいと思う。1945年からの戦後,日本は世界の奇跡といわれるように僅か20数年で世界に類を見ない復興を遂げ,1964年に東京オリンピック,1970年に大阪万国博覧会を開催し,新幹線をはじめとする国内インフラ整備,高度経済成長を通じて世界に確たる国となった。しかしながら,冒頭で述べたように国民は貧富の格差や日本人としての気質や人間性は昭和,平成となるに従って益々,悪化,低下しているのではないだろうか?と云う私も若い頃は随分と親や社会に迷惑を掛けてきたと後悔しつつ,最近では改心し,少しでも社会に役立つような人生を送りたい,人生死ぬまで勉強と思っている。数年前に読んだ安岡正篤(まさひろ)先生の著書に「知命・立命・運命・宿命」と命にはいろいろとあることを知った。自分がこの世に生を受け,この現実社会の中で一体何をするのか,したいのかを知ることを知命という。命を知ることで自我の中に自然と「志」と「信念」が生じる。そして,その志と信念により,これから自分は,これをやろう,こう-54-しようと行動指針的なものが生じてくるのが,いわゆる立命(命を立てる)。『論語』に「命を知らざれば,以て君子たること無きなり。」とあるように,「命」は絶対的・必然的なものであるため,これを天命という。例えば,自分が男性で昭和何年に何家の長男として生まれた,これは必然であり絶対的なことである。人は得てして,自分に不都合なこと,不幸せなことや災難に遭遇すると「これは宿命である」とか,人生はじめから決まっていたこと,不可抵抗的に考えたりしがちだが,これまでの自分の考え方や行動,習慣を変えることにより運はどんどん変化していく。これが運命。良い運命となるか,悪い運命となるかは,自分の心掛け次第で,どうにでも変えられることを学んだ。いわゆる「因果応報の法則」である。自分がこれまで他人に対して良いことをたくさんしてきた場合,自分にも良い結果がもたらされ,反対に他人を傷つけたり迷惑をたくさん掛けたりした場合には,自分に悪い結果が生じる。「善因善果,悪因悪果」は確固たる自然の法則である。昔から「情けは人の為ならず。」という諺は,この因果応報と同じことを云っている。現在の若者の大半が,情け(人助け)はその人のためにならないから情けは掛けるべきではないと真逆の受け止め方をしている。自分の運命を良くしたい,良い人生を送りたいと望むなら,他人(相手)に対して良いことを積極的に,出来れば無意識にやれるようになりたいものである。親切・正直・愉快に生きよう!高知職業能力開発促進センター 榎木  茂命は我よりなす

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