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銃身の鍛造加工工程:右上がかずら巻きの方法を表すを発見、このヒントにより雌ネジの切り方を会得したという話がある。これが日本に存在しなかったネジの加工技法の始まりである。また、銃身の筒加工においても、これまでの刀鍛冶としての技能、技術がなければ、まねをしたところで鍛造加工は出来なかったであろう。銃身を鍛造加工するには瓦金と呼ばれる砂鉄から作った帯板を片方から真金を入れながら丸め筒状に加工するのであるが、筒状にしただけでは、火薬を入れ玉を発射するときに鉄管の継ぎ目からはぜてしまう。継ぎ目がはぜないようにする工夫は、さらに銃身の上から包帯を巻くように鉄板を巻きつけ、これにより先に巻いた継ぎ手の強度を確保するというものであった。さらに強度が必要なときは、この包帯巻きを二重にする銃身加工もあったそうである。この包帯巻き加工を葛(かずら)巻きといい、その継ぎ手は見た目にはわからなくなる-45-まで鍛造されている。次に重要な工程は、玉の通り道である銃身内部の仕上げである。玉が滑らかに発射されるように、モミシノと呼ばれるヤスリで銃身内を磨くのである。こうした鍛造方法で火縄銃の銃身が加工されているわけだが、鉄砲が伝来した当初にすべてこの方法であったかどうかはわからない。戦国時代には3,000丁の火縄銃が発注されており、その後の多くの戦が火縄銃を改良させたにちがいない。ただ感心するのは、ポルトガル人により伝来された火縄銃が、2年の内に刀鍛冶により国産化されたことである。まったく未知の物を見せられたにもかかわらず、即座にそれを加工してしまうところに当時の刀鍛冶の技能・技術の高さを垣間見ることができる。この時代、日本以外にも中国、朝鮮、東南アジア

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