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徳川義直公廟(定光寺):丸形瓦棒キャップ・ドブ板の継手にはハゼ加工は見られない有限会社高柳板金工業 高柳 一男我々の職業とする建築板金のルーツを推察してみると、日本の歴史のどの辺まで戻ることになるのだろうか?金属で屋根・壁・雨樋を施工したことを条件とするならせいぜい1600年代頃だろう。しかし金属を加工した歴史となるともっと遡ることになる。金属による飾り物の世界があるし、武器製作の世界もあるが、その歴史はまず銅を中心とした加工であり、つぎに鉄を中心とした加工である。屋根に銅板が始めて使われた記録としては、我が国の銅による屋根葺きの記録が「七台寺巡礼私記」に登場する。天平神護元年(765年)、奈良の西大寺においてと考えられる。しかし、建物自体が現存していないので今となっては誰も見ることはできない。たとえ当時の建物が残っていたとしても風雨にさらされ続けていては、そんなに長い間屋根の役目を果たせるはずもない。日光の東照宮でも当時の施工による屋根を今は見ることができない。風雨にさらされ痛んでしまい、ほとんどのところが現代流に葺き替えられている。私の知るところでは施工当時の材料で、当時の施工を今見ることが出来る銅板の屋根は、瀬戸市の定光寺、奥の院の徳川義直公の廟である。ここに行けば銅塊から槌で板に圧延した銅板で屋根を施工したものが見られる。これは慶安5年(1652年)明人 陳元贇(チン・ゲンピン)の施工によるものである。屋根は目の高さで見られるとこ-22-ろもあり、銅板に槌目がはっきり残っており、板厚も不揃いであるような板肌をしていることがよく観察できる。心木入りの瓦棒で葺いてあるが、板厚2~3mmの銅板を瓦棒の形にどうやって加工したのか、そのときの道具が見たいものである。特に拝殿屋根の瓦棒キャップは、かまぼこ形状のアール面上に流れ方向に折り目の筋が入っており装飾の柄に1. はじめに2. 古い時代の金属屋根(銅板葺屋根)建築板金とそのルーツ(前編)

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