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有限会社原田左官工業所原田 宗亮-1-写真1 当社第一号の女性左官見習い1.はじめに (女性左官育成取り組みのきっかけ)2. ハラダサカンレディース発足 女性左官職人の育成のきっかけは,昭和63年に事務スタッフで採用した女性が「私も現場に出てみたい」と言ったのが始まりでした。彼女の父親が大工で,現場への興味が幼い頃からあったことや,彼女自身が事務職よりも体を動かす仕事がしたいという思考だったからでした。 当時はバブル景気で非常に現場が忙しく,アルバイトでも何でもいいから人手が欲しいという状況だったので,「まず,遊びでもいいから現場に出てみるか」という軽い感覚で,女性左官の育成がスタートしました。 スタート当時は,女性左官が業界を変えるほどのインパクトを与え,その後も脈々と続いていくようになるとは誰も考えもしませんでした。 女性左官見習い第一号の女性は,現場作業の合間に会社の倉庫で,漆喰やモルタルなど左官の素材をいろいろと触って,試し塗りや見本作成を行っていました。彼女は左官の修業を始めたばかりなので,当然うまくは塗れませんでした。それはデコボコでしたが,今でいう非常に味わいのある塗り板見本でした。また,女性ならではのアイデアで,白い漆喰に口紅を砕いて入れたり,アイシャドーを入れて着色して,今までにない左官の見本を次々と作成しました。しっくい 今でこそ,カラフルな漆喰や模様付けの左官の壁,デコボコな壁は珍しくありませんが,25年以上も前の当時では,まったく考えられないものでした。左官の壁,特に漆喰といえば,白く真っ平らなものでした。また,色漆喰といっても黒・弁柄・ねずみ色程度で,カラフルなものはまったくありませんでした。そして,模様を付けるにしても,鏝こてで模様を付けるということはなく,ローラーや吹付で柄を出すということが一般的でした。 その中で,女性左官見習い第一号の女性が作った見本は,新しく,刺激的なものでした。当時,社内に大学生アルバイトが来ていて,そのメンバーが見本を見て,自分たちで設計事務所へ売り込みに行きたいという要望が出ました。会社で了解し,アルバイトたちが売り込みをしたところ,即座にいろいろな設計事務所から問い合わせがあり,すぐに採用されていきました。 当時,ディスコなど派手な装飾をするお店が多少子・高齢化への取り組み  少子・高齢化への取り組み女性が魅力を感じる左官業について

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