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がないがしろにされた。工学部出身者が,製造業ではなく金融機関に職を求めたのもこの頃である。そして文系出身者の生涯賃金が理系より5,000万円も高いということが,まことしやかに喧伝され,額に汗して働くことを軽蔑する動きがあったことも確かである。 幸いなことに,このような軽佻浮薄な考えを苦々しく思っている人たちも日本にはいた。少し考えれば,マネーゲームが砂上の楼閣であることは自明であろう。それが愚かな考えであったことは,時代が証明している。実は,日本が没落せずにすんだのは,自分たちの本道を忘れ,不労所得に欣喜雀躍する無能な経営者たちの横で,地道に,ものづくりの伝統を守り,日本の危機を救った無名の技術者たちがいたからである。このことを忘れてはならない。 もちろん,金儲けをすることは悪いことではない。企業が利益を出して,従業員に還元し,それによって,多くの人の生活が豊かになるのは歓迎すべきことである。しかし,本業を忘れて,マネーゲームに走ったのでは,本末転倒であり,企業の存在意義が問われる。 さらに,物欲には限りがないということも知るべきである。物や金に頼る限り,心の安寧は得られないということも。多くの新興企業は真の「ものづくり」精神に欠けており,往々にして拡大路線に走り勝ちである。急成長するのはいいが,結局,自分自身をコントロールできずに崩壊してしまうことが多い。草創期には,ささやかな成長を楽しんでいたものが,会社が大きくなるにしたがって,10億円の次は,100億円,その先は1,000億円と欲を膨らませる。少し考えれば,まともな商売をしていて,そんなに簡単に売り上げが伸びることはない。無理をしない限り急成長は望めない。そこで,失うものも多いはずだ。 どんなに金を稼いでも,1人の人間が占有できる技能と技術 1/2014-2-面積は,立って畳半分ほど,寝ても畳一枚ほどである。どんな豪邸に住んでいても,1人の人間が占める面積は限られている。いたずらにスペースがあれば,居心地が悪い。 「立って半畳,寝て一畳,天下とっても三合半」という言葉がある。栄華を極め,天下人となったとしても,一回に食べられるご飯の量は,せいぜい三合半しかないという意味である。暴食が過ぎれば,やがて健康を害してしまうだろう。 人は,物を求めるのではなく,心の豊かさを求めるべきなのである。盲聾唖という三重苦にみまわれながら,努力して学問を身につけ,世界的な篤志家,社会活動家として名を馳せたヘレンケラー(Helen Keller)女史が残した次の言葉がある。“The best and most beautiful things in life cannot be seen, not touched, but are felt in the heart.”「人生において,最上で最も美しいものは見ることはできないし,触れることもできない。それは,心で感じるしかないのだ」と。 どんなにつましい生活をしていても,心が穏やかであれば,幸せに暮らしていける。バブル期にあっても,ものづくりの心を忘れずにいた人たちは,マネーゲームに踊らされない,しっかりとした芯があったのだと思う。 札幌農学校(現北海道大学)の初代教頭であるクラーク博士 (William Smith Clark) が学生に向けた有名な言葉に,“Boys,be ambitious!”がある。「少年よ,大志をいだけ」という日本語も有名である。ところで,この大志は野心のことではない。 実は,“Boys,be ambitious!”の先には,さらなる言葉が続くとされている。“Be ambitious not for money or selfish aggrandizement,not for that evanescent thing which men call fame.Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.”「少年3.立って半畳,寝て一畳4.大志を抱く

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