2/2013
50/54

4.おわりにしてのアドバイスをして欲しい」という。定員確保が難しいなかで容易に入学した学生と違って,厳しい入学試験を突破して入学した学生ほど,大学進学への目的と手段の混同が起っているのだと言える。これでは大学生活で勉学に集中できるとは思えない。それでも大学卒業に必要な単位数さえ取得すれば学士として認定され,社会に送り出されてくるというのが実態である。これでは,中学時代に引き続いて毎日の授業で鍛えられる高専生や,目的を定めて教育を受ける短期大学校生と大学生の間に,その成長の点で差が生じても不思議ではない。 そこで一昨年,ある集まりで文部科学副大臣に出会ったとき,私は次のような主張と提案をした。 「日本の大学生が勉強しないことに対して,当社がインターンで迎えたインドの学生やコロンビアの学生が驚いていた。私の大学生採用経験での実感は,“日本は高い税金を使いながら,若者達を大学で遊び人に育てている”ということ。依頼を受けて特別講義をしたある国立大学工学部教授の話によると,“クラスの中で優秀な学生は,多くの場合高専からの編入生。そして大学へ編入して来た高専生が最初に驚くのは大学生が勉強しないこと”だという。専門学校や短大を4年制大学に格上げして次々に大学数を増やし,そこに税金をばら撒くのは間違いだ。現在の大学の4分の3は廃止し,その税金を残りの4分の1の大学に集中して授業料を無料にし,勉強しない学生は直ちに退学させるようにしたらよい。本物の学士を育てるべきだ」。 この厳しい提案をされた文部科学省の副大臣は大変驚いたようで,意味のある対応,議論にはならなかった。ところが昨年,文部科学大臣に任命された田中真紀子議員が,就任早々のあいさつで同じ趣旨の発言をした。すでに文部科学省の認可を得て準備は進み,完成間近だったプロジェクトに対する突然の中止発言に批判が集中したが,私も多くの国民もその主張には賛同したと感じた。 私は日本の大学教育も大学生の有り方も間違って技能と技術 2/2013-48-いると考えている。知識や技術を詰め込み,あるいは学士というレッテルを与えることが大学教育ではあるまい。もちろん就職率さえ高ければよいというものでもない。一方の学生達も,学ぶことに意欲的でない人達までもが,一体何が目的で高い授業料まで払って大学への進学をするのだろうか?「良い学校に進学すれば良い就職ができる」という伝統的な,甘い考えがある。では一体何を以って「良い」というのだろうか?その基準が大きく変ってきていることに多くの日本人は無関心過ぎるのではないだろうか?大企業や公務員社会のように,伝統的に学歴が処遇に大きく影響する社会もある。では大企業や公務員社会への就職が良い就職なのだろうか?大規模なだけに国際社会に振り回される大企業や,巨額の借金で運営されている国や地方の公共企業体・機関や自治体である。 グローバル化が進行し,今日の良い会社が明日も良い会社とは限らない時代。来るべき新しい時代は個性あるベンチャー企業や中小企業が期待される時代。そこでは学歴さえあれば厚遇され,あるいは成功するということはない。学歴がなくても生きていける時代が来たとも言える。必要なのは学歴ではなく,どのような変化があってもそれに食いついていける人間力と基礎学力,身につけた知識や技術を活用する力ではないだろうか?知識も技術も持っていることに価値があるのではなく,それを生かして初めて価値が生まれる。従って教育では,まずは年齢相当の大人に育成することではないだろうか? 生まれて74年,社会に出て55年,あの貧しかった時代から激動する現在社会まで,コンピュータ開発,ハイテク薄膜技術,アメリカでの現地企業設立,ソフトウェア開発という激動のビジネス世界を,工業高校卒という学歴,学力しかないままで生きてきた私には,教育には学歴というレッテルをつけることではなく人間育て,そして人間力と基礎学力を身につけることこそが最優先すべき役割だとの認識がある。私は現状の大学教育が続く限り,高専生や短期大学校生に期待し,これからも機会あるごとに「大学ではなく,高専,短期大学校への入学おめでとう」と言い続けたいと思う。

元のページ  ../index.html#50

このブックを見る