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1.はじめに株式会社日本コンピュータ開発 相談役最高顧問高瀨 拓士-35- 少子高齢化の中で,数少ない貴重な子どもたちが,目的は曖昧なまま進学を目指し厳しい受験勉強に励む。しかしながらいったん希望校に入学した途端に取組むべき目標を見失い,無気力な5月病にかかる者が多いと聞く。受験までにエネルギーを使い果し,入学という手段と,学ぶという目的を混同し,入学後は勉学への意欲は乏しく,それでも容易に得られる学歴というレッテルの力に期待し,人材確保に苦しむ中小企業へは目もくれず,ただ面白さ,好き嫌い,安心安定だけを求めてだれもが大企業や公務員を目指す。そこには若者らしい夢や希望,挑戦する勇気や好奇心,逞しい精神力や社会に飛び出して行くという勢い,躍動感は感じられない。最高学府たる大学で最先端知識や技術の詰め込みは行っても,基礎学力や人間力,社会性などを身につけることも無い。これから生きて行く社会や人生に対する関心は薄く,ただなんとなく,あるいは自分に都合の良いように社会や人生を勝手に想像して社会に出てくる。その結果,現実とのギャップに直面して挫折し,迷い,自信をなくして無気力になり,社会に失望して自ら人生を絶つ若者さえも居る。あたかも闇夜に,ヘッドライトも無い高性能オートバイで飛び出し,事故を引き起こしている様なものだとも言える。私はこのような行動を見て「若者達は間違っている」と思うことが多い。しかしながら間違ってはいるが悪いのは彼らではなく,彼らをまともに育てて居ない大人達だと思っている。 最近発掘された数千年昔の遺跡で,「近頃の若い者達は・・・」と書かれたものが発見されたという。今も数千年前も,大人達は若者を同じ様に見ていたのだろう。しかし日本には昔から「子どもは親の背中を見て育つ」という言葉がある。子どもたちは大人達の背中を見て学び,育ち,教育をされ,一人前の大人,社会人になって行った歴史がある。そういう視点で考える時,「現在の大人達は,子どもたちにその背中を見せているだろうか?」という疑問が湧く。もっと深刻なのは「子どもたちに見せるべき背中があるのだろうか?」ということである。物質的豊かさの追求に明け暮れ,その豊かさにどっぷり浸かって生きてきた結果,自己中心的で社会性や自らの社会参加意識に乏しく,自信もなく,自主自立意識や意欲もなく社会に依存して生きる,見せるべき背中を持たない大人が増えているのではないだろうか? そのようなことで子どもたちは大人,社会人になれるのだろうか? 私は高等教育以前の問題として,大人達は子どもたちに対して,良くても悪くても自分の背中,つまり自分の生き様をさらけ出して見せ,社会を,人生を学ぶ為の教材として提供することが大切だと思う。そこで初めて子どもたちは人生や社会を理解するためのヒントを得て,社会に出るに当たって自分なりの目標や覚悟ができるのではないだろうか? 生まれて74年,社会に出て55年を生きてきた私。その間運命に従ってこの年代の人間には珍しく,大企業から倒産寸前の中小企業など3つの会社を転職し,言葉も話せず,知識も経験も無いまま会社つくりにアメリカに飛び込み悪銭苦闘もした。その様な私の人生を知る友人や知人には,私の人生を「運が悪く,波乱万丈の人生」と評する人が多い。確かに若者達に伝えたい若者達に伝えたいリスクのある人生にこそ面白さがある

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