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写真3 ㈱ドン・シューズによって復元された靴-34-写真2 靴を履いた坂本竜馬を受けたものが多々あるが,皮革に関する文化や製革技術,応用技術分野も,古くは大陸などから移入された歴史がある。 すなわち,弥生時代後期には大陸からの渡来人・帰化人がなめし技術などを伝え,その基礎を築いたとも言われおり,大和時代にすでに最古の皮革利用に関する記録がある。当時は皮についていた脂を取り除いただけの毛皮が,そのまま利用されていた。素材はシカ・カモシカ,イノシシなどの皮革が主であった。古代人やエジプト,ギリシャ,ローマにおいては,革の処理用として,タンニンを用いたなめし(tanning)が行われていた。 日本では飛鳥時代に入り,朝鮮半島から製革技術を持った職人が渡来し,外来文化の1つとして進んだ製皮革技術,皮のなめし法などが伝えられ,基礎技術が築かれた。当時,皮革は朝廷への重要な貢ぎものであり,最も愛用されたのは鹿革であった。皮革の用途としては馬具,甲冑(かっちゅう),弓などの武具が主たるものであった。その他,草履,敷物,紐(ひも),装飾品などにも応用されている。 日本人の履物として,古くから皮革や稲わらでつくられた履物が存在していたが,それらは豪雪地方を中心に猟師や漁夫,百姓によって用いられたものである。また,7世紀に渡来した大陸文化の影響で,宮廷人たちは,金属,革,繊維で作られたさまざまな種類の履物を官位,職業に応じて着用していた。 「クツ」という言葉は韓国語の「クドウ」(Kutou)から由来しているとも言われているが,10世紀以後で,日本人が用いたのは,主として土着の下駄,草履であった。 したがって,西洋的な靴は,開国後の産業化が始まった1860年代までは,全く他国の履物であったといえる。日本で最初に洋式靴を履いたのは坂本竜馬だといわれており,竜馬が着用したものと同様なスタイル・復元靴イメージは,写真のようであったと思われる(写真2),(写真3)。 明治以降の西洋文化の導入とともに日本の皮革産業は,近代的な製品技術,工業化が進んだが,そのようななかでも,皮革技術に関しては,日本古来の技能と技術 3/2012伝統技術を生かし,外来技術を吸収して,日本独自の皮革文化を育んだと考えられる。 西洋流の靴製造は,日本では武士階級によって始まり,幕藩体制の崩壊を契機に,ある藩では下級武士を中心に靴の製造を学ばせたケースがあり,外国技術を吸収するために,外国人の指導を受け入れたケースがある。東京,横浜の工場では,技術を習得した下級武士出身者たちが,洋式靴産業の先駆者となった。 明治3年,佐倉城内の武道館用地を利用して洋式靴の工場「佐倉相済社」が設立されたが,佐倉藩士であった西村勝三が中心的な役割を担っていた(写真4)。 1868年になると陸軍大臣・大村益次郎は西村勝三に軍靴の製造を勧めたといわれているが,西村が着手した事業は多々あり,成功したのは耐火煉瓦,製靴,製革などであった。西村は明治3年(1870年)

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