3/2012
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然であり,我が校の卒業生は強い武器を持っている。[近年の課題] 表にある近年の課題はどちらも本質的な課題ではない。これらは我が校と国立大学(工学系)が設立されたときから,本質的に内在している課題である。我が校卒業生が,実技に堪能であり,“即戦力”をうたっている限り,最新の設備,技術を習得していくことは必須となり,大学校の設備,指導員達の認識等が遅れれば当然発生する問題となる。我が校の問題は当然,国立大学(工学系)における共通の問題であるが,国立大学(工学系)においては,この課題を克服する以前に,実技を全く習得していないという大きな問題がある。企業に以前のように社員教育・研修を数年かけて行うという余力がない以上,実技の習得を要望するのは当然であろう。 これを課題としてあげるのは容易であるが,解決法は個々の課題に対応することでは得られない。問題は新入社員のモチベーションにあり,企業という環境に入ったときにそこで求められることの本質を積極的に探って,課題を自らに設定し,解決法を確立する段階で自らの能力の開発を行い,更に本質的な課題に切り込んでいくという気概と姿勢を持つか否かに掛かっているからである。 新入社員が「指示待ち族」と呼ばれるようになって久しい。幼稚園から読み書き,数学,果ては英語と詰め込まれ,小学校では既定のドリルで決まった解答で評価され,中学,高校と受験対策に追われる。ここには,自ら主体的に道を切り開くといった自由度は微塵も存在できない。それに加えて,飽食の時代に生まれて育っているために,弛まざる向上心と地道な努力の大切さを知らずに育っている。かつて憧れの的であった,国際留学が若者から離れていっている風潮は,如実にこの現状を示している。したがって,企業の現場から聞こえるのは,“入社してから数年過ぎても,自ら課題を見いだし,それを解決するという若者がほとんどいない”という苦情である。これは日本全体が抱える“死に至る病”と言えるであろう。ギボンの著書によると,古のローマ帝国が衰退していった最大の要因は,帝国市民が安楽な生活に溺れ,労苦を嫌い,建国時の溌溂たる若-25-者が消滅したことにあったという。 このような環境の中で我が校はどのような教育を実施するべきであろうか? 我が校の学生達を見るに,地方の純朴な環境で育っているせいか,非常に純粋で,素直である。彼らは2ないし4年という短期間の大学校生活で大きく育つ芽を持っている。国立大学に長く住んでいた自分自身の実感である。実際,就職率100%というのは只事ではない。国立大学(工学系)では,就職したくない,華やかなぜいたく暮らしをするためにアルバイトをしながら芸能界を目指すなど,親子揃って妙な方向を選ぶ学生が必ずおり,就職率100%は夢の数字である。ここでは学生達は真面目に進路を考え,全員が地道な方向を選択している。先生達の努力の大きさもさることながら,彼らの根の素直さがこの結果を生んでいる。 それでは,我が校の卒業生達は企業が望む人材に育っているだろうか? 就職率100%という数字が示すように,企業が新入社員として我が校の卒業生を評価していることは確かである。しかし,我が校の卒業生が一般大学の卒業生に比べて,数年後の伸びに問題があるという声は高い。これは,実技の習得に特化するという同じ目標を持つ高専卒業生にもいえることであり,“即戦力教育”の大きな落とし穴になっている。 もちろん,企業における対応の違いも見逃せない。企業では各卒業生達に対する期待が異なっており,現場で即戦力とする我が校卒業生に対し,企業での育成教育が必要な一般大学の卒業生にはより柔軟な業務内容を与えている。この違いは,今までの卒業生達の実績から生れてきているともいえるので,あながち企業が固定観念のもとに対応をしているとばかりは言い切れないであろう。 結論として,我が校においては,今まで以上に学生達の情操面での指導が必要であり,恐れず,惑わず,一直線に問題に挑戦する気概の養成こそがすべての問題への解決方法である。 学生達には,“即戦力という最大の武器は,最大の弱点”という現実を認識させる必要がある。“大学校で学んだ技能は3年から5年で使い尽される。その間に倦まず,弛まず知識を吸収し,努力を継続提言

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