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う言葉が技と美の両方を語源に持つが、それは神や支配者に対して作られた物に対する意味で、決して日常の物にまで広がる概念ではない。日本人が磨き上げてきたモノづくり。それは使う側に立つ視点と独自の美意識、感性により、単なる機能美を超える「用の美」を、職人や匠らが意識せずに日常の中に、モノづくりに組み込んできたのである。今、我々の日常に溢れる工業製品や技術にも、その感性は、日本が特に高いといわれる現場の使命感や志、心意気として連綿と受け継がれているように思う。 さて江戸幕府は、基本的に諸藩の上に君臨しつつも、過度な支配・干渉は行わなかった。平和な時代が維持される中で、日本の各地域は、幕府によって封ぜられた藩により自主的に統治されていた。諸藩は、それぞれの地域を繁栄させるために、身分の上下を問わず勤勉や勤労を勧め、江戸中期以降には藩校や寺子屋が日本各地に作られ、文化、文政期(1804?1829)には農村や漁村にまで広がった。その結果、日本のことわざにある「読み書き算用は世渡りの三芸」が庶民にとっても当たり前となり、知恵や技が「型」文化のような形で裾野を広げ、共有されたのである。日本各地で地域の学問や文化、産業の育成を競い合った結果、先にあげた「民芸」のような地域ごとに微妙に異なる、優れた感性や技能を発揮できる職人や匠が育ち、多様な地域や人々の要求に応える切磋琢磨の中に、世界的な評価を受けた「伊万里焼」や「漆器(japan)」のような、何処にも真似できない素晴らしい美が生まれた。「こだわり」が「ひいき」を生み、「らしさ」を育てたのである。(近代から現代まで、日本では家電や自動車のような大衆商品を特定の一社が独占的に製造することが少なく、同種企業の微妙な違いを持つ商品が多数存在して、切磋琢磨が行われてきた事実も、「型」文化、「以心伝心の技」のような独特の文化・風土を持つ日本社会の連続性から納得されよう。 考えてみれば、世界的に知られるようになった「カイゼン」や「カンバン」、そして「セル方式(屋台方式)」などは欧米で発展してきたフォード生産システムのようなトップダウン式のマニュアル方式を超える、日本独特に発展させた現場的生産方式である。モノづくり大国として、例えば、松下幸之助氏の「すべての物質を水道の水の如く、生産を豊富にしたなら、この世から貧困はなくなる。」との近代から今日まで多くの製造業、日本企業が目的としてきた「モノづくり」は、今、大きな転換期を迎えていると言えよう。21世紀の「モノづくり」は、世界的に量産消費型社会から循環調和型社会への転換期にあって、「環境」「省資源・リサイクル」「社会・価値観の変化」「新科学技術(バイオなど)」「人口」などの新たな目的への対応が求められている。そのためには、これまで無意識に繋がり、使ってきた我々にある知恵や技、その伝承法や考え方を、明確に意識して発掘し、活用すべきなのであろう。日本のモノづくりの強みは、カイゼンやカンバンのように、現場にある日本独自の「熟練技能」や「技能伝承」にあり、これまで無意識に使ってきた、我々の足元にあるのではないだろうか。 「KAIZEN(改善)」や「KANBAN(看板)」は、日本語がそのまま使われる世界に通用するモノづくりに関する言葉である。それは、日本的な現場にあった「型」文化で守られてきた個々人のモノづくりの「暗黙知」を、現代の工場生産システムの中で「形式知」化したモノではないだろうか。周知の通り、「カイゼン」の源流は、欧米などで生産に関する新しい方式として研究が始められたものであり、デミング「KAIZEN(改善)」「KANBAN(看板)」そして「MONODZUKURI(モノづくり)」へ−21−特別講演

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