2/2011
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てきている。 ものづくりへの“こだわり”を考えていく前に、“ものづくり”について少し触れてみたい。一般的にものづくりでは、いろいろな原材料、素材を利用して人間生活や活動に役立つ製品を作り出していく。この行為の中で、機能や性能、価値をもった完成品(製品)に作り上げるには、作り手の技術とか感性によるところが大きい。 この作り手の技術は、ときには技能であり、ときには技であるが、これらは千年以上の昔から育まれ、蓄積し、引き継がれてきた歴史の上に存在しているものでもある。また、感性は日本の伝統文化、固有文化に少なからずその源があると考えられる。 ものをつくる作り手に対しては、技術者、技能者、職人、匠などの呼び名がある。その違いには諸説があるが、現在では明確な境界や違いはなくなりつつあるようだ。 かつては、大工、木工、左官、タイル、建具など建築業に携わる人で、自らが身につけた熟練した技術によって、ものづくりを行う人を職人と呼んだ。しかし最近では、手工芸品、植木屋、金属加工、寿司、菓子に至るまで、熟練した手作業で物を作り出す人に対しても広く職人と呼ぶようになってきている。 職人を目指す人は、誰でもがすぐに職人になれるわけではない。一人前の職人になるためには、俗に修行と言われる、ものを作り上げるための力(能力)、専門知識などを習得し、経験をつむ必要がある。例えば、かんななどに代表される刃物を一人前に研げるようになるには、10年近くかかると言われている。ほかの道具類でも自分なりに使いやすいように整備や調整などをして、自由に使えるようになるためには、相当の年月がかかる。これらは、マニュアルなどを読めば習得できるものではなく、実際に自分自身が身体的経験の中から得られる領域のもの(暗黙知)が多くあるため、習得・会得までには時間が必要となる。 修行では、本人の努力もさることながら、ものづくりに必要な事柄の多くの部分は、指導者(親方、師匠、先輩、…)によってもたらされ、親方から弟子へ、先輩から後輩へと伝承されてきている。 ものづくりに関わる多くの人は、自分の作っているものが役に立ったり、素晴らしかったり、喜ばれたり、満足してもらえるものを作りたいと常に考えている。そのためには、難しく困難を伴う場合でも、今まで培ってきたものづくり力を総動員して全力でものづくりに取り組んで行く。そして、それが作り上げられたときには、ものづくりをしている人にしか分からない、喜びや達成感を得ることができる。それがそもそも“ものづくり”への心意気の基となり、こだわりの始まりとなるのではないだろうか。 ものづくりへの“こだわり”には、作り手としてのプライドが存在する。作り上げられたものに対して、誰が手がけたものであるかを問われたときに、自分なりに納得ができ、恥ずかしくないものでありたいと考える。そのために、自分が手がけたものが評価に値するように、努力して情熱を注ぎこむ。当然このプライドには、高いレベルのものから低いものまでが存在する。つまり、ものづくり力の力量による差が、プライドの高さと低さの差となる。また、ものづくりへの“こだわり”の強さや弱さといった差とこだわりの質の差にもなるのではないだろうか。 ものづくりの中で注がれる情熱には、新しいことや困難なことへ挑戦し、失敗や成功の経験を繰り返しながらその本質が何であるかを探究し、改良や改善に取り組む力がある。この情熱の力によって、ものづくりにおける自己実現(納得する)を得ることができ、向上を目指したさらなる努力や経験を重ねることによって、熟練度の高いものづくり力を備えた作り手へとつながって行くと考える。3.“ものづくり”の喜びと“こだわり”−31−エッセイ

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