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村上 武史、清水 博 我々は、以前に日本のものづくりの将来性について、考察を加えたことがある。その中で、日本のものづくり力の背景を明確にすることが重要であることを指摘した。 日本人の、ものづくりに対する気持ちの中に、ものづくりへの“こだわり”という要素が存在しているのではないかと考えてみた。 このものづくりへの“こだわり”とはいったい何だろうか。 こんなテーマをもちながら、このたび新橋にある大塚製靴株式会社を訪問する機会を得ることができた。大塚製靴株式会社は、日本における靴の老舗である。(明治5年1872年創業) ここで働く坂井栄治さんは、昭和29年に19歳で入社し、以来この道一筋56年余にわたり、手縫いの靴づくりに取り組んできた。定年を過ぎた今でも大塚製靴株式会社のショウルームで実演をかねて手縫いの靴をつくっている。 手縫いの靴をつくる工程は、ラストの製作(靴型)、アッパーの製作(甲革:靴の表の部分)、釣り込み作業(甲革と中底などを縫い付けていく)、底付け作業など多くの工程があり、複雑である。それぞれに「職人のわざ」的な熟練の技術と経験が必要となる。 しっかり仕立てられた手縫いの靴の特徴は、足蒸れが少なく、足に馴染んだ履き心地が得られ、丈夫で長持ちし型崩れせず、靴底などの修理が可能なことなどがあげられる。 それらを可能にしているのは多くの技である。例えば、板状の革を曲面に沿わせてカーブを作って行く技や、ロウ引きの麻糸で、一針ごとに形状に合わせて、糸の張りを微妙な力加減で調整しながら、細かい間隔の運針ですくい縫いをして行く技などもその一つである。 ベテランである坂井さんの、靴づくりへのこだわりについて聞いてみた。それは、靴を履いたときの履き心地である。靴を履いたときに、まったく靴を履いている感じがしないような履き心地を得ることにこだわっている。注文主の歩き方を見れば、その人が履いた靴のどの部分がどのように傷んでくるかを推測することができ、その対応も可能とのことである。これらには、優れた技とそれを使いこなした多くの経験がないと実現しない“こだわり”がある。 最近、ものづくりの関わりの中で「手作りにこだわった○○○」、「本物へこだわりつづけた○○○」といったキャッチコピーをよく目にすることが多い。もともとこだわりと言う言葉は、他人の言うことに耳を貸さない頑固者とか、些細なことにとらわれて本質を見逃す、どうでもいい小さなことに引っかかって文句や執着するなど否定的なニュアンスの言葉だった。しかしながら、近年は「厳選する」、「選び抜く」とか「心を注ぐ」、「自分なりの思い入れがある」といった肯定的なニュアンスの用法が広まっ1.はじめに2.日本における“ものづくり”技能と技術 2/2011−30− “ものづくり”における“こだわり”

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