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4.職人の社会的位置られることはほとんどないに違いない。つまり徒弟は雰囲気に溶けこみ,そこで主体的,能動的に行動することによって徐々に職人の世界への見通しができるようになるばかりでなく,その仕事に喜びを感じ,その仕事の社会的意義を実感するのである。それでなければ「何十年と一つの仕事に打ち込んできた職人の談話には,きびしく仕込まれ,しごかれた徒弟時代のことがなつかしく語られいる」ことはないのでないであろう。このような職人にとって彼の仕事は性にあった職業であり,それを誇りに思っており,一人前の生活をおくることができたのではないか。彼の職業生涯は,尾高邦雄の「職業は個性の発揮,連帯の実現及び生計維持の三面よりなる行為様式である」という職業の定義に当てはまるところがあるのではないか。尾高は定義のもつ意味を次のように言う(7)。 「徒弟は……厳しい条件を満たした後に就業することになる」と書いたが,遠藤は次のように書いている(8)。職業が単なる労働とは異なることも亦明かであろう。職業はむしろ労働以上のものである。一方でそれはそれ自身が喜悦であるところの労働である。なぜなら職業に於いては人々の天賦なり才能なりが発現向上せしめられるべきであるから。他方ではそれはそれ自身が義務であるところの労働である。なぜなら職業に於いては人々の役割なり使命が果たされるべきであるから。畢竟職業は労働と異なり常に一定の社会的全体を予想する。共同の生活を営む他者の存在せぬところに職業はない。蓋し生活を共同にすればこそ連帯は起こるのであり,又他者あってこそ個性の意味は生ずるのである。……職業は社会生活の根幹をなす。しかも同時にそれは社会生活なきところには存在し得ない。他と異なる個性を発揮して他の為に連帯を実現すること-それが職業の職業たる所以である。徒弟として弟子入りを許されるものは,一般の奉公人の5/2009 ここで厳しい弟子入りの要件とされている2つの要件のうち犯過者でないことは十分理解できるが,賎民とはどのような人達であったのだろうか。日本ではすぐに牛馬の死体処理などに従事する穢多,罪人,極貧の人あるいは犯罪人を指す非人という差別用語が思いうかぶが,それがなぜ排除されるのだろうか。ごく普通の当たり前の人間でないからであろうが,徒弟制度の維持という目的から排除されるのであろうか。ヨーロッパでも「『古き手工業』において『名誉』と『不名誉』の概念がいかに成立し,なぜ『不名誉』な職業の出身者,結婚によらざる私生児が手工業から排除され,犬・猫・自殺者の死体に触れた者が忌み嫌われたのか,今日でも定説はないといってよい。それは『名誉』の起源がきわめて古い時代にさかのぼり……その多くを民間伝承に頼らざるを得ないためである」と指摘しているのが「手工業の名誉と遍歴職人-近代ドイツの職人世界-」(9)である。そして驚くべきことは1731年の帝国手工業法令によってようやく排除されたものには,なお次のような人々を『名誉なき人々』としていた場合と同様に,まず賎民でないことと犯過者でないことが,重要な条件として要求され,妻であればさらに夫の同意,村方からの出身では奉公免許状,また以前に職歴をもっている者は前の奉公先の了解をそれぞれ必要とした。さらに,徒弟の場合に限って,これに加えられる必要条件としては,まず第一に,技術の習得に適格であり,しかも労働力が低廉であることが重要視されるので,弟子入り希望者は低年齢であるということがあった。……また,封建社会の封建的性格からして,他領への技術の漏洩を阻止し,原料の仕入と販路の独占を維持して狭隘な市場を防衛を図るために,他領出身の弟子入りは許されなかった。……弟子入り・弟子取りの契約は,まず目見えによって親方の承諾を得たのちに,弟子入金(手付け)あるいはこれに準ずる酒肴料を納入して正式の請状(契約証書)が作成されたが,この請状作成は法規的に契約成立のための必要条件として要求されていたものの,現実の仲間の掟書きなどにこれを規定した例はまれで,多くの場合は慣習によって請状を経ないで契約を成立させていたようである。29

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