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3.職場の「教育」環境,職場の「教育」機能備や材料の運搬や簡単な初歩の仕事と道具の使い方といったものであった。いわば下働きである。仕事についても,見様・見真似で覚えろとか,仕事は盗めとかいわれている。口でいうより手が先に出るといったこともあった」し,それはよく言われるように「仕事は盗め」ということであれば,「聞き習う」ことは徒弟の段階ではほとんどないといってよいようである。また徒弟も教えて貰えるとは思っていなかったようである。これは日本でも外国でも共通していたようである。よく知られている著作にも例えば「棟梁の義務は二種類になって居る。一は良く世話をする事即ちその徒弟を食わせたり寝させたり暖を取らせたり時には着物を着せる事,二は彼をして十分その工場の事ことを修行せしめる事である。……ところが棟梁たちはこの最期の義務を十分完全に尽くさなかったらしい」(4)。また「16歳3ヵ月の時の年季奉公の有様は厳しいものであった『親方は私に食物と寝床を与えてくれたがそれだけしかくれず,何ひとつ元気づけるようなことはしてくれなかった。彼は毎朝,冬でも夏でも五時前に私を起こし夜八時か九時まだ働かせた。……私は四階に寝た。親方の寝室は私のすぐ下である。朝になると,彼は棒で天井をつついて私を起こす。そして,彼の方は寝床から離れようともしない。……私が彼のところへ来たとき,私はすでに道具の使い方を知っていた。……彼は私に私が知っていることをさせ,それ以上は何もさせなかった。もし私が彼の仕事場で幾分進歩したとすれば,それは,彼に教わったからではなく,彼の知らぬ間に仕事を通じて独りでに会得したものである』」(5)と。わざわざこのような事実を書いているのは,このような事例が珍しいものではなく,当たり前のことであったのではないか。 ここで「教育」と表現したが,すでに指摘したように学校教育に典型的にみられるような「教育」は行われていない。しかし「教育」が行われなくとも徒弟はやがて職人になり,さらに機会と条件に恵まれれば親方になる。これは洋の東西を問わず変わり28ない。 小関智弘には「仕事が人をつくる」(6)という著作がある。この本を通読すると,徒弟は仕事を通じてこそ職人に,さらに親方になるのだということがわかる。特に「世間には,職人の世界では仕事は盗んで憶えろで,技能を親切に教えてくれることはない,という通説がまかり通っている。私はそれは俗説に過ぎないと思っている。……本当に優れた町工場の職人たちはそうだった。こちらが真剣なら,むこうも真剣になった。ありったけのことを教えてくれた。優れた職人たちは『自分を越えるような職人を育てられないようじゃ,半端職人だ』と,言い伝えてきた」と指摘している。ここで取りあげられている10人の職人はみな「現代」の職人であるから,中・近世の職人とは違った条件に置かれているのでこのような言い方ができたのではないか。ともあれ,共通していることは,回りくどい言い方をすれば,まず仕事をする職場ないし仕事場があり,そこに仕事があり,一緒に仕事をする職人,親方がいるので,職人を志す若者は,親方と徒弟契約を結んだうえで仕事を与えられて初めて職人への道が開かれるのである。上で引用した「彼のところへ来たとき,私はすでに道具の使い方を知っていた」というのは希なことであろうから,若者は職場に入って仕事を含む職人世界全体を初めて見ることになる。契約以前に「眺めていた」仕事,職人の世界とは違った現実を「見る」ことになり,そこで修行することになる。 新入りの徒弟に対する扱い方は,親方,職人,すでに住み込んでいる徒弟の置かれている条件,人柄によって一様ではない。緊張した彼には何から始めるのか,何をしたらよいのかわからない。彼がまず接触するのは職人であり,先輩の徒弟であり,彼らの動きを「見る」ことから始まり,彼らに指示され,言いつけられたことをこなすことから1日が始まる。はじめて経験する彼にとっては,すでに述べたようにもたもたした彼に対して「口で言うより手が先にでる」であろうし,時にはしごかれることになる。見習い,し習うことが精いっぱいで聞き習うどころではないであろう。こうした雰囲気であるから,親方は仕事に関する限り遠い存在であり,直接教え技能と技術

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