1.背景2.宮古高等技術専門校の歴史1)11岩手県立宮古高等技術専門校齋藤 裕之特集 宮古市は岩手県の県都盛岡市からおよそ東に100km,風光明媚な三陸海岸のほぼ中央に位置し,陸中海岸国立公園の中心をなす,浄土ヶ浜を有している。また,本州最東端に建てられた「魹ヶ崎灯台」では,本州で一番最初に日の出が見られることで有名である。平成21年4月末現在,人口はおよそ6万人,面積は696.82平方キロの地方中堅都市である。 産業では江戸時代以降,豊富な漁業資源を利用した水産加工が盛んである。昭和40年後半からは電気機械組立産業,コネクター製造産業の立地が開始され,微細金型と微細加工を得意とするコネクター・金型産業が集積している。特に,コネクター製造でヒロセ電機の小会社である東北ヒロセ電機の立地以降は,企業数30社1,800人が働く,日本有数の精密コネクター産地となっている。 この宮古地域の精密コネクター産業の持続的な発展を支えるためには,有能な人材の確保と育成が重要な課題とされ,その課題を克服するために,2001年8月,宮古地域のコネクターと金型に関連する企業は,「宮古金型研究会」を設立し,さらに,2001年11月には,宮古地域の産学官連携組織として,「宮古・下閉伊モノづくりネットワーク(工業部会・水産部会・林産部会・農産部会の4部会と未利用資源活用研究会)」が設立された。2003年9月には,「宮古金型研究会」と「宮古・下閉伊モノづくりネットワーク工業部会」の会長である(株)エフビーの田鎖巌社長の提案により,人づくりのための,「モノ5/2009づくりができる人づくり・寺子屋」が始まり,産業人材育成がなされてきた。このような活動の中で,平成17年2月に,宮古金型研究会を中心として,宮古市,宮古市商工会議所が,岩手県に対して宮古高等技術専門校への金型関連科設置の要望がなされたのが,宮古高等技術専門校へ金型関連科の設置・設立の起点となった。 宮古高等技術専門校は昭和27年6月に岩手県立宮古公共職業補導所として開設したのが始まりである。昭和48年には現所在地である宮古市松山に新校舎を移転し,機械科,自動車整備科,溶接科,電子機器科の総定員140名として訓練を行っていた。その後,時代の変遷とともに,平成2年4月には現名称である,「岩手県立宮古高等技術専門校」と改称し,普通課程(第1類)機械科1年20名,2年20名,普通課程(第2類)電子技術科20名,自動車整備科20名,転換課程溶接科10名の総定員90名となった。平成6年にはOA事務科20名を設置したが,総定員は除々に減少し,新規学卒者訓練は平成13年度に自動車サービス科(2年15名)のみとなった。金型関連科設置の検討が開始された平成18年度は自動車サービス科に加え,若年者委託訓練(日本版デュアルシステム),知的障害者委託訓練と障害者の態様に多様な委託訓練を行っていた。 現在(平成21年度)は,⑴普通課程(自動車システム科(2年15名),金型技術科(1年10名))の総定員40名,⑵在職者訓練(755名),⑶委託訓練とし新設科の立ち上げと運営について金型技術科の開設と運営について
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