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撃された直後で市内にも緊張が高まっており,JICA事務所からは下記のような危険情報メールが頻繁に送られてきた。 「大統領が通行予定の道路で地雷が設置されているのが発見された」 「LTTEが北部の拠点から爆弾を積載したトラックでコロンボに向けて出発した」 「明日はLTTEの自爆テロ20周年の日です。政府は警戒を呼びかけています」 LTTEは政府,軍関係の施設しか狙わないのでコロンボが確率として最も危険らしい,しかし街の人々は長い内戦の歴史が生活の一部として溶け込んでいるのか緊迫感はそれほど感じられない。生活に追われる人と車の雑踏のなかで厳戒態勢をとる小銃を抱えた軍兵士。日本では非日常の光景であるが日が経つにつれ日常と化していく。 2004年12月に発生したマグニチュード9.3という巨大なスマトラ島沖地震は,インド洋に面する各国で大きな被害をもたらした。とりわけ地震による津波の被害はプーケット島の衝撃的な津波の映像で紹介され,その記憶はいまだ新しい。 スリランカの被害は甚大で,死者は3万人を超え,約100万人が被災している。スリランカの場合は東海岸だけでなく,波が回折によって回り込み,西南部の海岸にも大きな被害を出している。 スリランカ南端のゴール技術学校に向かう際,海岸線沿いに延々と続く倒壊家屋跡や高台にまで押し上げられた漁船を目にした。また,リゾート地ヒッカドゥアの駅前には変形した数両の客車が置かれていた。このコロンボ発ゴール行きの列車は津波に流され転覆し,車両内で実に1,200人以上の人が亡くなっている。1つの車両でこれほど大きな被害になったのは,この列車は津波の第1波の被害を免れたことで地元住民が車内に避難し,あとに続いた第2波の津波に飲み込まれたためということである。現地の人たちはそもそも「津波」という自然現象を知らなかった。現在「津波」は日本語の「TSUNAMI」として知れわたっている。3/2009 スリランカ人の日本に対する関心は特に知識人層で高いといわれる。その理由は新聞や雑誌で取り上げる日本は最大援助国としての日本,技術大国としての日本,そして手本としての日本である。国内を走る自動車はインド製のバスとスリーウィーラを除けばほとんど信頼性の高さで日本製,それも中古車が圧倒的な数を占める。これに対してテレビなどの電気製品は日本製の影はうすく,中国製や韓国製が目につく。 スリランカの西欧の技術と制度を導入して近代化を図りたいという願望は強い。近代化への願望は何もスリランカに限ったことではないが,スリランカには近代技術の導入はかつての宗主国イギリスからでもなくアメリカからでもない日本からという特別な思い入れがある。文献によると1980年代のDailyNewsの記事「手本とすべき日本人」には「大地まで打ち砕かれた国が40年足らずの短期間のうちに世界で3番目(当時)に豊かな地位を得たことは誇るべきことである。そのようなことが達成できたのは,日本人の民族としての献身的性格によるというのは誤りであろうか」と述べ,日本文化の精神的伝統は世界の手本であると称えている。 スリランカの日本への思い入れの原点は仏教にあるといえる。仏教がスリランカナショナリズムの根幹を支えていることはいうまでもない。スリランカ人の資質,とりわけ勤勉さ,実直さ,礼儀正しさ,謙虚さは日本に近いといわれている。また日系企業担当者から「スリランカ人は1つの作業を黙々とこなす資質がある」との話も聞いた。上座部仏教は悟355.3 TSUNAMI(津波)5.4 日本観と仏教図12 1,200人以上の死者を出した列車

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