す。和田先生が言われるように郷に入れば郷に従えが正解ですね。ジワッとじっくり仕事をすれば実習生はついてくると思います。≪甚五郎≫の創作文 一簣に読ませていただきました。面白かったです。折を見て (ラーメン)工房龍に行きましょう」と。「九仞の功を一簣に虧く(きゅうじんのこうをいっきにかく)」の「一箕」という文字を使われたところに先生の深い思いが込められたのだと,気が付いたのはうかつにも先生の死後。すでに,この頃はお身体が悪かったのではないだろうか。なのに,いろいろ私のことを心配してくださっていた生野先生。私にとっては一回り年上の優しい兄だった。最後になった,この暖かいメールは私の一生の宝だ。奥さまから訃報の手紙が入ったのは,2020年の正月が明けたころ。茫ぼう然ぜん自失,ただただ言葉を失った。もっと先生に教わるべきだった。もっと先生とともに行動するべきだった。もっと早く先生の所に行くべきだった。しかし,取り返しのつかない後悔になす術すべはない。冥土の先生にメールは届くのだろうか,以下のメールを生野先生に送った。「生野先生,昨日,先生の訃報が届きました。生前の約束が果たせず,残念至極。せめてもう一度お会いしたかったです。お体も悪く,きつかったのでしょうね…先生の教えてくださったこと,もう一度おさらいして身につけ,これからも頑張ります。先生が残してくださった工具,私のほうで管理させていただこうとおもいます。お墓のほうには後日お伺いいたします。ラーメン工房龍にも先生をしのんで行こうと思います。せめてもの救いは左甚五郎の冊子を先生に送ることができたことです。先生は現代の左甚五郎でした。生前のご厚情に心より御礼申し上げます。ありがとうございました。取り急ぎ御礼まで。」私にも,もうすぐ還暦が来る。わが身を振り返ると恥ずかしいくらい先生の足元にも及ばない。引き続き精進を重ね,私も道を切り開いていきたいと-20-思っている。1950年,北九州に生まれる。1965年,東洋陶器(現TOTO)に入社。銅合金の鏡面切削加工,光通信事業のコスト改善や新素材の加工技術開発業務に携わる。この間,技術考案賞はじめ数度の社長賞受賞2000年,福岡県版『現代の名工』に。2001年,第1回 北九州マイスター認定。2002年,福岡県優秀技能者県知事表彰2003年,厚生労働省『現代の名工』受賞2004年,文部科学大臣表彰。2005年,平成17年度『黄綬褒章』叙勲2010年,付加価値創生研究所,創設2019年11月6日,死去。享年69歳。【先生の遺作の作品;真鍮の三重のサイコロ】生野先生は真鍮加工の神様。中の立方体は八つの隅を最小0.03mm程度で支えている。素材に切削力の負担をほとんどかけずに削り出しているのだ。さらには制作後10年以上たっているのに表面が変色していない。この表面性状ばかりはどうしてもまねができない。先生は,手研ぎのバイトで真綿のような令和三年十一月六日,生野先生の三回忌に和田正博7.冥土へのメール8.生野保幸先生略歴9.生野先生の遺作
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